読んだ後に酷く孤独を感じる小説だ。なにがきっかけで読んだかは忘れた。ただ電子書籍がないので文庫本で買ったことは確かだ。未だに書棚に置いてある。
この小説を読んだとき「なぜ主人公たちは逃げないのか」と疑問に感じた。それは、今になっていくつかの理由を挙げられる。
1.わたしたちは自家用ジェットを買えないから
私は自家用ジェットでアメリカに行けない。いつかは行けるかもしれないが、今は無理だ。
自家用ジェットがあることは知っている。莫大な金があれば買えることも分かる。だが、その莫大な費用を一体どうやって手に入れるのか?ていうかどこで買えるのか?
そもそもどこで自家用ジェットを買えばいい?Amazonで自家用ジェットはポチれるだろうか。
主人公たちにとって、「逃亡」というのは、それくらい遠い話なのだろう。私たちが自家用ジェットをどこで買えばいいか分からないように、「逃亡」という言葉と概念を知っていても、具体的な手段も、金もない。稼ぐ手段があったとしても、とうていそんな額には達しない。
逃げたいと思っても、その手段がない。あっても届かない。諦めるしかない。クローンはそういう環境にいる。
2.彼らにはアンパンマンが無かったから
仮に私が街の中、暴漢に襲われて悲鳴を上げたら、誰かがなにかをしてくれるだろう。私はこの社会にそのくらいの信頼を持っている。子供時代ならなおさらだ。
子供が仮に悲鳴を上げて助けられない、そういうことはあってはならない。この社会にはまだその程度の良識は残っている。
翻って主人公たちはどうか。悲鳴を上げて助けてくれる人がいるか。いない。子供時代に社会にその程度の信頼さえ抱くことはできない。ヘールシャムを出たら死ぬ、とさえウワサされている。
親がいないからだ、といってしまえば、私たちの社会でも親がいない子供たちがああならない理由が説明できない。
いってしまえば、彼らにはヒーローさえもいないのだ。愛と勇気で守ってくれる誰かが、絵本の中でさえいない。私たちはこの社会には悪がいても戦ってくれる誰かがいて、自分たちもその社会の一員であると、アンパンマンや、仮面ライダーや、プリキュアたちに教えられて育つ。
クローンにはヒーローがいない。マダムから蜘蛛のように怯えられるだけだ。
クローンを助けようとした人々もいたが、クローンその人を好きになってくれた外部の人はいない。クローンはからっぽだからだ。始めから自己肯定感というものを与えられない。
トミーはかんしゃく持ちで、ルースは見栄っ張りのマウント気質。キャシーは大人しいが、人を引きつけるだけの、例えばクローンである彼女を助けてくれるような魅力には恵まれていない。
ただし恋愛であれば、誰かが恋に落ちてクローンを助けてくれたかもしれない。しかし思えばヘールシャムでも、クローン以外とのセックスはそれとなく戒められていた。おそらくクローンと恋をして逃げ出すケースがあったからだろう。
以上2つが、私が考えるクローンたちが逃げ出さなかった理由だ。