たとなてかない

『た』い『と』る『な』ん『て』おもいつ『かない』という意味です。内容はフィクションですよ。

犬のジョンたちの物語

私は犬が怖い。その結果、後味の悪いことになったが。

犬が苦手なのは、4歳ほどの時、犬に追いかけられたからだ。

その犬をばかジョンという。

第1のジョンの物語

ばかジョンは近所で飼われている哀れな犬だ。中型犬で、くるくるした毛は大阪のおばちゃんのパーマみたいだった。ジョンの飼い主は怠惰で、散歩をサボってばかりいた。その代わりに、ジョンを庭で放し飼いにしていた。

問題は、その庭というものは、家の周りを囲っている人ひとりがやっと通れる程度の幅の道だということだ。ジョンはこの通路を毎日毎日走り回っていた。嬉しそうに。

多少は怒ったり呆れたりしてもいいだろうに、ジョンはいつ見ても舌を出して楽しそうに家の周りの通路を全速力で駆けている。

そして、飼い主がうっかり門を開けた時、彼は一目散に外へ駆け出す。外へ!外へ!楽しいよ!みんなぼくと遊ぼうよ!

ジョンは一度逃げ出すといつまでも人を追いかけ回す。それ故にばかジョンと言われた。私も何回も追いかけられた。追い詰められて、桜の木の上に逃げた。

犬は木を登ってきた。

めちゃくちゃ焦った。木の上で犬に飛びかかられたらどうするのか。全く想像が付かず、最悪なことに、私が登った桜は崖の上にあった。飛び降りたら崖の下である。死ぬ。ガチのマジで死ぬ。私は絶叫した。し続けた。

近所の人が慌てて母を呼んでくるまで。

そうして私は、すこぶる犬が苦手になった。

ばかジョンは気の毒な犬だ。飼い主に恵まれていなかった。しかし、彼はいつでも陽気で落ち込んだところをみたことがない。

犬はそういう生き物である。

第2のジョンの物語

なぜ人は犬にジョンと名付けるのであろうか。

私の近所の人間は、なぜか犬にジョンと名付けているケースが多い。

ある夜、私は気分よく帰宅への道を歩いていた。誰もいないし知っている道だったから、イヤホンの音量を上げて音楽を聴いていた。ふと、背中に衝撃を感じた。

私は絶叫した。

ガチのマジで死ぬ。強盗か、それとも変質者か。夜に後ろを取られたのだ、もはや詰みだ。喉から声がよくこうもせり上がると思うくらい出てきた。人間はとっさの時に声が出ないというが、私の場合はバカみたいに声が出た。

ちなみに私は肺活量3500、剣道で声を鍛えた大声の持ち主である。迷惑なことこの上ない。

よくこんなに声が出る、と頭の片隅で思いながら数秒。やっとイヤホンを外すことを思いつき、私はイヤホンを外した。

犬の声が響いた。

私の背中に激突してきた柴犬らしき犬は吠えながら私にじゃれかかってきた。

犬という輩は、だれであろうと人間は全て友であり、全員自分と遊んでくれるものだと認識している。あいつらは自分が苦手だという人種がいることを知らない。そして私は犬が苦手だ。

私はやっと叫びをやめて、その場に立ち尽くした。逃げてもどうせ追いかけてくる。歩いても同じだ。だからそこにとどまるしかない。地獄だった。

あとちょっとで家に帰って冷たい無糖炭酸水でも飲んでいたのに犬の相手である。棒立ちになってるだけだが。そして私が無能になってしばらくして、やっと飼い主が出てきた。

「ジョン!ジョンちゃん!こっちきなさい!」

……この犬もジョンだ。私に面倒を引き起こす犬はすべからくジョンとでもいうのか。そしてこっちに来いじゃない飼い主。お前がこっちに来て犬をもって行くのだ。しかし飼い主は来ない。

犬の方がやっと飼い主に甘えに行って、私は歩き出せた。謝罪の一言もない。うちのかわいいジョンちゃんに怯えるなんてどういうことかしらみたいな視線を送ってくる。

そんなにかわいいジョンちゃんなら家に上げて座布団にでも据え付けておけ。ノーリードで外に出すな。

その後その家では、ジョンにリードを着けて外に出すようにはなった。

第3のジョンの物語

そんな私だが、学生時代、一度だけ犬を飼ってもいい、と思ったことがある。その犬もジョンで近所に飼われていた。どいつもこいつもジョンである。他に名前はなかったのだろうか。

このジョンはすこぶる哀れな犬で、いつも鎖に繋がれて庭にいた。飼い主たちはあまり散歩もさせないし、エサすらろくにやっていなかった。どうも子どもたちばかりで大人はあまり帰宅しない家族のようだった。

しかしこのジョンもすこぶる愛想のいい犬で、人間はすべからく自分の友だと思っていた。私にすら甘えかかるので、私はその庭を通り抜ける時は全速力で走り抜けていた。

それでも彼は甘えた声で泣きかかるのだ。あまりに人なつこいので、工事に来た人々が弁当の残りをやり、柵越しに声をかけたり遊んでやったりしていたのだった。

近所の人間も、ろくに世話されていないジョンを見て、エサをやるようになった。私ですらやるようになった。最初は母親に命令されたからだ。

食パンを買いに行くと、一枚ジョンにやることになった。私はなるべく遠くにパンをなげて、全速力で走るのだったが、やつは私の顔と匂いを覚えて必ず愛想良く吠えてくるのだった。

犬の愛想のよさと、あまりの人のよさがしんどくなってくる。

ジョンの待遇の悪さと、飼い主の家庭環境には大人たちも問題視していたらしい。民生委員が相談にいったが、撥ね付けられたと聞いた。

そして母がついに決断した。

「ジョンをもらってこようと思う」

私はこたえた。「いいんじゃない」

ジョンならしょうがない、私はそう思ったのだ。あの哀れで愛想のいい犬なら、まあ、なんとかやっていけるであろうと。

しかしそうはならなかった。

翌日、飼い主一家はジョンごと夜逃げしていったのだ。

ジョンがどうなったか私はわからない。そして未だに犬が怖いままだ。それでも、ジョンたちが幸せであることを願う。