そう言う小説の一節を読んで、ああ自分はいつになったらカンパリソーダを飲めるような大人になるのだろうかと思った。
もういい年だ。甥や姪がいたらカンパリソーダをこっそり飲んでるかもしれない。それなのに私は今だにカンパリソーダを飲んだことがない。
それどころか、バーに行ったこともないし、クラブもないし、ライブもほぼない。知人がライブに出るってんで一度付き合いで行ったきりだ。
まあ、そもそも論として酒が飲めない。心底酒が飲めないから、クラブやバーに行ったところで何の面白さもない。
それどころか、こうして書いてるだけで吐き気がしてくるくらいだ。それくらい下戸だからクラブやバーに入ったら卒倒して救急車に乗るかもしれない。
別に酒を飲むことだけが大人の仕草でもないが、それにまつわるすべてのことに距離を置いてしまっている。こればかりは体質だから仕方ない。
大学生のうちなら、トイレで吐いて救急車なんてよくある話だが、社会人になってそれは許されない。いや、自分はいい大人だがトイレで吐くし救急車にも乗るという人もいるだろう。そういう話じゃないのだ。
おそらく自分の酒の弱さから言って、間違いなく数日は寝込む羽目になる。ビールをコップに半分飲んだら腕が痒くなるくらいだ。二日酔いどころか帰りの駅でうずくまって吐き気に耐えている。酒を飲んで楽しいなんて最初の一口きり、その後は頭痛、痒み、吐き気に襲われて酒会どころの騒ぎじゃない。
もういい加減、酒と酒にまつわる事柄が大人であるとかいう狭い了見から卒業すべきなんだろう。
それが私が大人になる時だ。